脳梗塞が再発?どうなる父?2ヵ月後に襲った悲劇…2回目はひどい | 【暮らしの音】kurashi-*note

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脳梗塞が再発?どうなる父?2ヵ月後に襲った悲劇…2回目はひどい

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高齢者との暮らし

前回、父が脳梗塞で倒れた!家族の悲哀や焦燥感が半端ない…という記事をアップしましたが、1回目の脳梗塞は軽度で済みました。

ところがそのほんの2ヵ月後にまさかの再発。
こんなに早く?薬も飲んでいるはずなのに…
その後の様子についてのお話です。

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わずか2ヵ月後に2度目の脳梗塞

脳梗塞イメージ

2021年11月に脳梗塞で倒れ、約10日程度の入院後元気な姿で生還した父。ホッとしたのもつかの間、その2ヵ月後に再び脳梗塞で倒れました。

2022年1月25日の出来事です。

そのときの倒れ方は前回とは違い、突然バタッと椅子から転げ落ち、よだれをダラダラと垂らし何が何だかわからない状態になったようでした。

それは母との朝食後の出来事で、私は会社に出社していたため様子は見ておりませんが母の話ではそれはそれは大変だったようです。

父をかばって椅子から二人で転げ、父がもがき出したので、母が咄嗟に動かしてはいけないと判断し羽交い絞めにしたのはいいが自分も身動きが取れない。

まだ寝ていた大学生の長女の名前を叫び、何事かと部屋から出てきた長女がその光景に驚き慌てて救急車を呼んだという顛末。

救急車はすぐに駆けつけたものの、父が病院に行くのを拒み、
「もう治りましたから。大丈夫です。大丈夫です。」を繰り返し、

合掌して
ありがとうございますと拝んでいたようです。

(このジェスチャーにどんな意味があったのか今となっては本人の口から聞けないので不明。)

救急隊の方々も本人の意思に逆らって無理やり運ぶことはできないようで、ここで暫く行く、行かないのやりとりが続いたようです。

母が医療従事者の妹に電話し、妹が受話口から
病院に行け!」と父を説得しました。

なんとか納得して担架で運ばれ救急車に乗り込むことに成功しましたが、
ところが今度は受け入れ先の病院が見つからない。

脳梗塞の治療をしているかかりつけの病院は満床で受け入れてもらえず、あちこちと救急隊の方が当ってくれ、ようやく1駅先の救急病院が決まりました。

病院に運ばれるまで4.5時間の壁はクリアしていたものの脳血栓で脳血管が詰まった状態。

血管を広げる処置をしてもらいましたが、血管が開き過ぎると脳出血を起こし予後不良と宣告されました。

出血すると手術となるが、肺気腫があるため持ちこたえるかどうか不明。最悪植物状態だと…。

病院からの連絡待ち状態の悶々とした日々

緊急搬送された翌日に主治医から連絡があり、病状の説明を受けました。

  • 右片麻痺
  • 失語症
  • 嚥下(えんげ)障害

などかなり麻痺が残る可能性が高いと説明されました。

 肺気腫があるため状況を見ながら薬の投与を行っていると。
そして、何かあればまた連絡しますと言ったきり一向に病院から連絡がありません。

コロナ禍で多忙なのか、本人の病状が安定しているのか
連絡がないということは急変もないということなので脳出血は免れたのか?といいように解釈して待つ日々。

前回の軽い脳梗塞のときは、入院翌日に父から
「元気よ~」という電話があり
それから毎日家族にかけまくっていた父ですが
今回は3日経っても、5日経ってもなんの連絡もありません。

寝た切りの状態になっているのかまったく不明。

悶々とした日々が続き、それが果てしなく長く感じました。

ようやく1週間経って看護師さんから連絡があり、

「集中治療室から一般病棟に移動になりました。」と。

看護師さんなので病状の説明はすることができず、父の状態だけ尋ねることが出来ました。

父は呼びかけには応えてくれるとのこと。

2回目の脳梗塞は酷い

病気イメージ

母の妹は脳外科で働いていた看護師。
彼女に言わせると脳梗塞は2回目は酷くなるとのこと。

理由として1回脳梗塞が起きると、症状の度合に関わらず脳の一部の細胞が損傷を受けて機能が働かなくなるため、再発すると他の部分の細胞が損傷を受けて範囲が広がるらしい。

脳梗塞は再発する確率が高い病気らしく、発症後1年で10%、5年で35%、10年で50%というデータも出ています。

父はその10%の中に入ってしまったということです。

まさか2ヵ月後なんて…。

そして確かに今回の症状は酷い。

右片麻痺

脳梗塞の場合、右側の大脳に梗塞が起きれば左半身麻痺となり、左側の大脳であれば右半身に麻痺が起こります。

これは脳の神経線維が脳幹の延髄(えんずい)という場所で交叉(こうさ)して反対側の手足を支配しているから。

父の場合は左脳に梗塞が起きたため、右片麻痺となりました。

ほとんどの人が右利きだと思いますが、右側が麻痺してしまうと今後の日常生活がかなり大変になることは予想できます。

食事にしても、字を書くにしても左でやらなければなりません。

ああ、左麻痺だったらよかったのに…と思いましたが

右脳には空間を認識する、感情をコントロールするといった役割があります。

右脳が損傷すると、左側に置いてあるものが認識できずぶつかったり(失効症)、性格が変わったりするそうです。

温厚だった人が怒りっぽくなったり、優しかった人がわがままになったりすると、周りの人間は戸惑いますよね…。

失語症

左脳は理論的思考や言葉を司る脳なので、損傷すると失語症の症状があらわれます。

認知症と違って、周りが話していることは理解できるものの、自分が話したいことが言葉となって出てこない、言葉が繋がらないなどの症状が出るようです。

この感覚がよく理解できないのですが、

「りんご」を見せて、りんごだとわからないわけではなく

「りんご」という音と意味が結びつかなくなることらしい。

認知と違いちゃんと認識しているのにも拘わらず、言葉が出てこず、きちんと意思を伝えることができないのは、本人にしてみればもどかしく、辛いだろうな…と思います。

嚥下障害

最初に医師から

「嚥下障害が残る可能性があります。」と説明されたとき

えんげ?

と言葉の意味がわからない全くの無知状態でした。

父の鼻には管が通してあり、そこから栄養を運んでいます。

将来的に自力で物が咀嚼(そしゃく)できないなら胃ろうの可能性もでてきます。

胃ろうとは手術で腹部に小さな穴を開けて、チューブを通し、直接胃に栄養を注入する医療措置のこと。

医療現場で働く妹に相談したら胃ろうに対しての抵抗はさほどないようでしたが、私のように病気に無縁の者からしたらとんでもないことです。

口から食べ物を食べれないのは生きる楽しみを半分以上失ったようなもの。

家族で食卓を囲み、みんなでおいしいものを食べる。

これが生きているささやかな楽しみなんじゃないかと。

また胃ろうとなると在宅で介護する自信がありません。

せめて口から食べ物が食べれるようになって欲しいと祈るばかり。

週1回のWEB面会

WEB面会イメージ

一般病棟に移ってから、WEB面会が可能になりました。

コロナ禍でリアルで家族の面会はできない状態ですが、週1回、1階の待合室内にある個室と病室をオンラインでつなぎ、家族は個室から本人とモニターを通じてWEB面会ができるとのこと。

最短で取れる日にちを予約し入院から2週間後に父とオンラインで初対面を果たしました。

モニター越しの父は、鼻をガーゼで覆われていて管のようなものが通されていて、ウトウトとした状態。

大声で呼びかけましたが、全然気づいていない様子で、時折目を開けるもぼんやりとしていました。

それでも生きている父を見れたことに涙があふれ出ました。

以後1週間に1回の予約を取り、WEBにて父との会話をする日々が5ヵ月続きました。

リハビリの成果があり、本人の頑張りも多分にあったと思いますが、WEB面会を重ねるごと父は回復していきました。

1ヵ月ほど経ったとき、WEBに映し出された母や私の顔を見て泣き出しました。

父、認識している!

私たちがちゃんとわかっている!

(退院してから父に聞くと、実はWEBではよくわかってなかったよう…)

( ;∀;)

介護に必要な情報収集の時期

我が家は三階建ての完全同居型の二世帯住宅。

1階が両親のフロアで、2階にリビング・食堂・浴室があり、3階が私たちの個室という間取りです。

もし父が車いすになったらどうやって2階に運ぶか。食事は1階に運べばすむけど、お風呂はどうしよう…。

まさか改装してエレベーターをつけるわけもいかず、あれこれリサーチしたら福祉用階段昇降機なるものを発見。

便利なものがあるんだ。

どうやらレンタルも可能らしい…

しかし曲線や踊り場がある階段はレンタルでは難しく購入になるよう…。

そして金額を見て驚愕…。

ι(◎д◎υ)ノ

これ、介護保険って使えるの?
どれだけ負担しなきゃならないの?

などここにきてようやく経済的な心配も出てきました。

しかし考えれば考えるほど、どんよりとする。

ここでは今後に備えてどんなものが必要となるか、どんな福祉用具があるのかざっと調べておくだけに留めました。

脳梗塞に関してもまったく知識がなかったので、YouTubeでお医者さんの動画や、実際に脳梗塞になって回復した方の動画を見て知識も深めました。

あれこれ杞憂したところで、本人がどんな状態で退院するのかもわからないし。
今は父の回復を願うばかり。

そんな中、看護師さんから携帯に電話が。

携帯に病院名が表示されるとドキッとしてしまう。

父に何かあった?と心配しながら電話を取る。

ところが看護師さん

「次回お見えになるときは運動靴を持ってきてくださいね。」

え?(∵)

入院から3週間、父は歩けるのか?

聞くと、その訓練を始めるとのこと。

看護師さんの声かけに対して、きちんと伝わっているらしく理解はしている様子とのこと。

一筋の希望が…。

次回と言わず、その足で運動靴を病院へ持参しました。

まとめ

父がなんとか一命をとりとめ、集中治療室から一般病棟に移ったことを聞いてまずは一安心。
ただ入院期間は短くても3ヵ月以上、半年くらいはかかると言われました。

容体がわからないときは不安な毎日を過ごしていましたが、これからは父の回復力に期待しつつ、家族ができることを考える時期。

あれこれ杞憂するのはやめました。

そして忘れてはいけないのが母の心のケア。
ずっと一緒にいた配偶者とこんなに長きにわたり、離れるのは初めてのこと。

母が寂しくないように、会社から帰宅する電車を1本早め、土日は母を外に連れ出すなどしました。

一緒に暮らしていながら、ここまでじっくり母と会話することがなかった19年。
ここにきていろんなことを語りあう日々。

こんな機会をくれた父に感謝(?)せねば…かな。

高齢者との暮らし

ある日突然脳梗塞で倒れた父。要介護4の認定を受け、約5ヵ月の入院を経て無事退院。

在宅で週2日デイケアに通いながらゆっくりと過ごすことにしました。

介護無知な私に降りかかる介護問題や、高齢の両親との暮らしを綴ります。

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