父が脳梗塞で倒れた!助かるのか?家族の悲哀や焦燥感が半端ない…ACT FASTを意識して! | 【暮らしの音】kurashi-*note

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父が脳梗塞で倒れた!助かるのか?家族の悲哀や焦燥感が半端ない…ACT FASTを意識して!

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高齢者との暮らし

あんなにピンピンしていた父がこんな目に遭うなんて…

85歳の父が脳梗塞で倒れました。

当時の私は父のことを思うと涙腺がダムのごとく濁流となりゆるゆるの日々。

少し立ち直り、状況もいい方向(主観的に)になってきたので

この気持ちを忘れずにいるために、
また同じような立場になった方と共感しあえればと思い書き残すことにしました。

病気に慣れておらず、いちいち衝撃を受ける私ですが、どうか温かい目で読んでくださいまし。

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二世帯住宅7人家族の我が家の変化

家族イメージ

約20年前、三番目の子を身ごもったとき、私の実家をリフォームする話が浮上しました。

私の両親は孫の顔みたさにひんぱんに行き来していたこともあり、それなら一緒に住もうと、完全同居型の三階建ての二世帯住宅を建てました。

私、夫、長男、長女、次女、父、母の7人家族での生活の始まりです。

(いわゆる夫はマスオさん)

それから約19年ずっと7人家族。

健康でそこそこ幸せな生活をしておりましたが、昨年長男が大学卒業して就職し、東京で一人暮らしを始めました。

ずっと一緒に居たので、長男がいなくなるのは正直寂しい。

o(; ;)o

自分が希望する職業に就けた息子にエールを送らなければいけないとはわかっていますが、やはり寂しくて心にぽっかり穴が開きました。

いわゆる「空の巣症候群」ってやつ。

o(; ;)o

o(; ;)o

ところが、こんな心にぽっかり穴が開いた気持ちは私だけではなく、
寂しがり屋の父も同じ気持ちのようでした。

「おらんと、寂しかね~」と

しょっちゅう息子の携帯に電話していたようです。

(我が家はau家族割)

息子が帰省するときは、深夜にも拘わらず玄関前に立ってずっと息子の帰りを待っていたり、

休暇が終わりいよいよ東京に戻るときは玄関から息子の姿が見えなくなるまでずっと見送っていたりと父も本当に寂しそうでした。

父をひと言で表現するなら「好々爺」

とても温かくて優しい人で、縁側でニコニコしながら人の話を聞いているようなお爺ちゃん。

またじっとしていられない性分でこまめに動いてくれるので私は大いに助かっていました。しかも几帳面!

洗濯機や浴室のカビ取りを素手で行い、

「きれいになったやろうがぁ。」と自慢してきます。

そしてちょっぴり寂しがり屋さんです。

最初の大病:前立腺がん

入院中の写真

そんな父に異変が生じたのが2019年の冬。
おしっこに血が混じるといって泌尿器科を受診したら前立腺がんの疑いありと。

そして悪性と言われ
病気に慣れていないわが家族はどん底に突き落とされました。

2人に1人は癌になる時代と言われていますがまさか自分たちの身近で起ころうとは…。

コロナ前だったのでお見舞いに病院を尋ねることもでき、父と母が病院の屋上でツーショットで撮った写真を見ると未だに切なく感じます。

父の笑顔が悲しい…

私の妹は医療従事者なので、何かあると妹に助言を求めています。

すると妹はあっさりした表情で

「癌」は「悪性」だしね…と。

あまりにも病気になれていない私は

「悪性」と聞いただけでこの世の終わりのような気がしていました。

高齢者の場合、癌の進行は緩やかなのでそんなに心配しなくていい。
妹のそのひと言に救われながら日々を過ごしていましたが、まさかその2年後に脳梗塞になるとは…。

癌になる前は、肺気腫はあったものの、病気らしい病気はなく、元気でボケもないので洗濯、ゴミ出しなど家事の手伝いを積極的にしてくれていた父。

この癌を皮切りに次々と父に病が降りかかりました。

父、突然の脳梗塞

父が最初に脳梗塞を発症したのが昨年の2021年11月。当時父は85歳でした。

私が会社に出社したときの出来事なので私は直面しておらず、母から聞いた話になります。

私は会社員のため、平日の家事は父母が分担してくれています。
母は夕飯づくり、父は洗濯当番。

いつものように朝、洗濯を干していた父ですが、その日は洗濯ピンチがうまく開けなくて悪戦苦闘したようです。いつもより倍時間がかかっての洗濯干し。

そのあとの朝食時に、箸を持てず、左手でなんとか食べたようです。

母が心配して、そのまま父を寝かせました。

いつもは午前中ひと通り家事が落ち着いた12時前くらいに2人でコーヒータイムを愉しむのが常だったようで、その日も父は一旦起き上がりインスタントコーヒーを作ろうとしたら、ポトンとスプーンを落としてしまい、何度もそれが繰り返されたようです。

ここで異変を感じた母は医療従事者である妹に電話し、朝からの顛末を説明しました。

妹は即座に「救急車を呼べ」と指示。

その指示を受ける前は2人で悠長にタクシーでも呼んで病院に行くかと話していたらしいです。

父は「大丈夫」「大丈夫」を繰り返していたみたいですが、妹の剣幕に負けて救急車を呼んで病院へ。

結果、軽度の脳梗塞と診断。約10日間の入院を余儀なくされました。

軽症だった父は、翌日には母や私に電話をしてきて元気な声を聞かせてくれました。

父の声を聞いたとき安堵したのを今でも鮮明に覚えています。

ACT FAST

ACT FAST

ここで力説したいのは

即座に救急車を呼べ

これです。

父は別に具合が悪いわけではなく、ただ手に力が入らないだけで疲れているのだろうと思っていたようです。

脳梗塞の知識がなければ、そう思うのも無理ありません。

米国脳卒中協会のスローガンに「ACT FAST」というものがあります。
ACTは行動。
以下の症状があったら直ちに行動を起こしなさい。

Face:フェイス(顔)

  • うまく笑顔がつくれますか?
  • 片方の顔が下がっていませんか?
  • 口角が下がっていませんか?

Arm:アーム(腕)

  • 持っていたものを落とす
  • 両手を上げたままキープできますか?
  • 片方の手が下がっていませんか?

Speech:スピーチ(言葉)

  • 簡単な文章を言ってください
  • ろれつがはっきり回っていますか?
  • 文章を正しくくり返せますか?
  • 言葉が理解できていますか?

Time:タイム(時間)

これらの症状がどれかひとつでもあれば、時間が勝負です。
119番に電話し一刻も早く病院に行って下さい。
脳梗塞は1分1秒でも早く治療を開始することが大切です。
脳細胞はどんどん死滅していきます。

発症から4.5時間が肝

脳梗塞は血の塊が脳の血管に詰まることで、その先に血液が流れず脳細胞が死滅していく病気です。

脳細胞が死滅すると最悪死に至り、命が助かっても手足の麻痺、言語障害、嚥下障害などが残ります。

ただし発症から治療開始まで4.5時間以内であれば、血の塊を溶かす治療、血栓溶解療法が可能になり、

6時間以内であればカテーテルという細い管を血管の中に通して血の塊を取り除く血管内治療が可能らしく、父はなんとか時間内に治療を受けれたので軽い症状で済みました。

入院中、偶然にも父の知り合いが同じ脳梗塞で隣のベッドにいました。

その方は症状が少し重く、麻痺があり、それを目の当たりにした父は自分が軽度で済んだことに胸をなでおろしていました。

コロナ禍で家族は面会がままならぬ状態だったので、退院した父はわざわざその同室にいた知人の家族宅を訪ね、知人の様子を事細かに説明してあげたというお節介ぶり。

その2ヵ月後に自分自身がもっと重い症状になるとはこのときは知る由もありません。

脳梗塞2度目は酷いにつづく>>>

このブログに書こうと思った経緯

余談になりますが、このブログに介護記事を書こうと思った経緯を説明させてください。

当ブログは暮らしにまつわる便利なことや、買ってよかったもの、コストコ、ハンドメイドの作り方などをメインとした雑記ブログです。

そんなブログに相応しくないテーマ「介護問題」をなぜ取り上げたのか。

記事タイトルを「父が脳梗塞で倒れた!家族の悲哀や焦燥感が半端ない…」とつけましたが、これはこのときの私の率直な気持ちをまんまタイトルにしました。

恐らくSEO(googleで検索)では上位表示することはないので読まれることはないでしょう。

というのは、最近のgoogle検索では個人ブログは上位表示できず、特にYMYLと言って健康やお金に関する内容については私たちのような個人ブログはまったく日の目をみることができません。

例えば「腰痛」や「頭痛」など体の悩みに関するキーワードで検索してみると、
表示される記事は権威性があるサイトばかり。

どこぞの病院が書いたブログであったり、医師などの監修を受けた企業サイトしか上位表示されなくなりました。

そんな中「脳梗塞」などのワードで記事を書こうものなら、まったく検索に引っ掛からず、誰の目にも止まらず、誰にも読まれない記事を書くことになります。

ここで熱くブログ運営に関することを力説したいところではありますが、主旨がずれてしまうので、機会があれば別のテーマで語ろうと思います。

ざっくり言うとこのブログ、自分の備忘録としての意味合いもあり、自分が辿ってきた軌跡でもあります。

記事作成にあたって家族の協力も大きく、DIYや修繕など実際に作るときに、到底私だけでは出来なかったことも、父が手を差し伸べてくれ完成できたものも多々ありました。

顔出しこそしていませんが、このブログにちょこちょこ父も登場しています。そんな思い入れがあるブログです。

今、自分に直面している出来事で、それを乗り越えようとする過程をここで語らずしてどうする?という思いと、

なんらかのきっかけでこのブログのこの記事にたどり着いてくれた方で、同じような境遇で涙している方に向けて、そのとき感じたことを伝え、対処法が参考になればという思いから執筆することにしました。

時には日記のような記事になることもあるでしょう。

f^_^;

私自身も介護に関しては全く未知の世界。
何をどうしていいのかさっぱりわかりません。

いわゆる介護無知の私が、

直面した問題をひとつひとつ調べて解決したこと、知りえた情報など発信していけたらと思っております。

そして

このテーマで語ると、このブログ、もう何でもありの巨大雑記ブログと化してしまいます。

現在では、雑記ブログオワコン説も流れています。

むしろ別に特化サイトを作るべき?と悩みましたが、家族の軌跡を綴った思い入れのあるこのブログで呟くことにしました。

ということで、
高齢者との暮らし」というカテゴリーを1つ追加しました。

興味があればカテゴリー内で記事を読んでいただければと思います。

また介護無知の私が、ケアマネさんたちの協力のもと知りえた情報や、調べてわかったことなどを綴っていきたいと思います。

まとめ

家族の誰かが重篤な病気に罹ったとき、今までの当たり前の日常が一瞬にして悲しみの底に突き落とされます。

癌と診断されたときの胸が張り裂ける思い…

まさか、父に…という気持ちと並行して、もしかしたら…と最悪な事態を想像し涙で枕を濡らす日々。

2人に1人は癌になる時代っていうのは重々承知しているんですよ。

とはいえ

とはいえ

近しき人が宣告されたときのショックたるや…。

しかし高齢者の癌の進行は比較的緩やかと聞き、退院してからの父を見ていたら、癌だったってホント?というくらいなんら変わらぬ日常に戻ったかのような振る舞い。

もしかしたら本人は人知れず痛みに耐えていたのかもしれないし、そうとう痛いのかもしれません。

しかしいつも「大丈夫、大丈夫」と気丈に振る舞う父。

前立腺がんで退院したあとすぐにお腹が張って苦しそうだったので診てもらったら今度は胆管炎になり再入院。

そして脳梗塞…。

今思えばもっと観察して体調の変化をいち早く察してあげればよかったと後悔しかありません。

そのときの私は自分のことで手一杯で、とても余裕がなかった状態ですが、それは優先順位を間違えていたのかも。

このブログでこんな風に自分の気持ちを吐露するのもなんだか気恥ずかしいところもありますが、等身大の自分を語っていければと思います。

そして「介護」という言葉はあまり好きではありません。

介護ではなく、高齢者との暮らしの中で自分が癒されていること、頑張る原動力になっていることを綴っていければと思います。

ときには、ストレス全開って記事もあるかもですが、これが今、私が直面していることだからありのまま。
ありのままがいい。

そして悲壮感漂うブログにはしたくありません。
高齢者との暮らしの中でまったりゆったり…。

不意にこの記事に辿りついた方で、同じ境遇で悩んでいる方と共感できれば幸いです。

高齢者との暮らし

ある日突然脳梗塞で倒れた父。要介護4の認定を受け、約5ヵ月の入院を経て無事退院。

在宅で週2日デイケアに通いながらゆっくりと過ごすことにしました。

介護無知な私に降りかかる介護問題や、高齢の両親との暮らしを綴ります。

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